母の日の由来!日本の国民的行事になった驚きの秘密とは?
誰もが知っている5月の第2日曜日は「母の日」。
私は日頃から母親には甘えっぱなしなのですが、家族のために尽くしてくれる母に、母の日には感謝の思いを伝え、ねぎらいたいと思います。そんな母の日は、息子や娘から母への日本の国民的行事です。
だんだんと年を取ってくると、母親のありがたみがわかってきて、特に自分が子供を持つと、なおさらありがたみがわかってきて、親はスゴイなと思ってきました。
自分が年を取れば、当然母親も年を取り、順番的には自分よりも先にいってしまうものです。
後悔しないためにも、母の日には母親にきちんと感謝の気持ち「ありがとう!」と伝えたいもの。
そんな「母の日」の本当の由来を知っていますか?
そこで母の日の由来を調べてみましたのですが、日本の国民的行事になった驚くべきことがわかりました!のでお伝えします。
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母の日の由来!原型はアメリカ発祥!
母の日の由来は諸説ありますが、今のような母の日の形になったのは、100年以上昔の20世紀初めのアメリカで、母親思いの女性が起こした行動から始まりました。その母の日の由来の流れはいうとこうです。
長年、教会学校の先生として奉仕してきたアンナ・ジャービスさんの母親の追悼記念会がアメリカ、ウエスト・バ-ジニア州ウエブスタ-の教会で行われる。
このとき、母が好きだったカ-ネ-ションを礼拝堂に飾り、参列者にカ-ネ-ションを手渡してとりおこなったことが多くの人に感動を与える。
その後も、母に感謝する日を祝日とする「母の日」の普及運動を続ける。
この活動が瞬く間にアメリカ全土に広まり、1909年までに45州が祝日として採択され、ほとんどの州に広まる。
現在の日本の母の日の由来の原型は、このようにしてアメリカから始まったんですね。
それにしても、母の死から9年で国民の祝日になったとは正直驚きです。
アンナ・ジャービスさんの母に感謝と尊敬の念を形にするための「母の日」に制定に対する熱意と行動力は凄まじいものがあります。
母の日が日本へ伝わったのは大正時代!
その後、日本に「母の日」が伝わったのは大正時代です。その流れはこうです。
キリスト教会や日曜学校などで母の日が始ったわけですが、日曜学校とは教会が日曜日などに幼児や児童を集めて行う教育活動のことです。
最初はささやかに始まったわけです。
その後、当時のキリスト教系大学の青山学院教授であったアレキサンダー女史により、学院内の教会で「母の日記念礼拝」を行い、その後、日本キリスト教婦人矯風会(ふじんきょうふうかい)[1886年(明治19年)設立。日本で最も古い婦人団体]などのキリスト教関係団体が中心になって、徐々に広めました。
昭和に入り、「皇后をもって日本の母」とするという考えから、1927~1945年(昭2~20年)まで、昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の誕生日の3月6日が「母の日」とされました。
お元気であった晩年の昭和天皇と香淳皇后さまの貴重な映像です↓
その後、森永製菓が母の日の普及活動を始め、第1回「森永 母の日大会」は、なんと全国の20万人ものおかあさんを無料で招待し、この後、「森永 母の日大会」は全国の主要都市で毎年開催されるようになっていきます。スゴイ人数ですよね。そんなに人を集めることができたとはホント驚きです。
その後、第二次世界大戦後、アメリカにならい、1947年(昭和22年)、5月の第2日曜日が「母の日」となりました。
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日本で母の日が国民的行事となったのは森永製菓のおかげ!?
このようにして母の日は、アメリカから日本に伝わって、日本全国の広まり、公式に5月の第2日曜日が「母の日」となったわけですが、その裏には森永製菓の普及活動がありました。全国規模の、今日ある「母の日」を広めたのが、他ならぬ森永製菓でした。
昭和初期の当時、森永製菓を創設したお菓子王と呼ばれた森永太一郎さんは、クリスチャンでした。
だから、アメリカでの母の日の誕生の秘話は知っていたはずですし、クリスチャン事業家のデパ-ト王といわれたジョン・ワナメ-カ-さんが経営する百貨店でカ-ネ-ションを飾り、「母の日」の催しを行い注目を集めたことも知っていたはずです。
そのことに感銘を受けて、母の日中央委員会を設立し、母の日が全国規模で知られるようになったきっかけのイベント、1937年(昭和12年)5月8日、第1回「森永 母の日大会」が開催されたのではないかと考えます。
日本の母の日が全国的に普及し、国民的行事になったのは「森永製菓」が関わっていたのです。
そんな森永製菓には、超ロングセラー商品がいっぱい!その中でも日本初のキャラメルは、発売から100年以上経ちます!↓
まとめ
それにしても、母の日の普及の裏には、日米のクリスチャンの事業家が関わっていたとは驚きです。アメリカでは、デパ-ト王といわれたジョン・ワナメ-カ-さん、日本では、森永製菓を創設したお菓子王と呼ばれた森永太一郎さん。
経済界が国を動かしたのです。
母の日はアメリカから日本に伝わってきたものでした。
その由来は、アンナ・ジャービスさんという女性の母親が亡くなり、その母親に感謝し尊敬の念と平和を願う母親たちの社会運動を記念したものを形にするために、「母の日」の普及運動をしたことに始まります。
生前、アンナ・ジャービスさんの母親は社会運動家として知られていて、南北戦争中(1861年~65年)、敵味方に関わらず負傷兵の介護などに努めたり、貧困で苦しむ人々を救うための募金活動を行ったり、食品検査や公衆衛生活動を行うなどしていました。
そのような立派な母を見ていて、アンナ・ジャービスさんは母を人一倍尊敬し感謝していたとされ、そして平和を願ったといいます。
私の母は普通の母ですが、ここまで育ててくれて、小さいころわがままを言ったり、大学入試に落ちたり、大きな病気をしたりして、心配ばかりかけていました。
その時は、母の苦労など知りませんでしたが、社会人になって、結婚して、子供が生まれ、年齢を重ねるごとに母への尊敬と感謝の念が強くなっています。
母は本当にスゴイな、よくやってやってくれたなと、ただただ思うばかりです。
自分も母を見習って、子供にしてあげようと思っていますし、母には言えるときに「ありがとう!」と感謝の気持ちを言葉で伝えることを心がけています。
人間いつどうなるかもわかりません。
変な話になりますが、母親は今は元気でも、いつまでも元気でいるわけでもなく、年老いていつ病気になって、亡くなってしまうかもしれないのです。
だから、母には言えるときに「ありがとう!」と感謝の気持ちを言葉で伝えることが大事だと思うのです。
実は、私の母は大病を患い、現在闘病生活です。
だから、アンナ・ジャービスさんの熱意と行動まではいきませんが、自分ができる範囲で、母が喜ぶことをやろうと心がけています。
母に電話をする。母に顔を見せる。孫の声を聞かせる。孫を会わせるなど、母が喜ぶと思うことをしています。
せっかくの母の日です。
後で後悔しないように、この機会にぜひあなたも母の日に感謝の気持ちを言葉で伝え、母の喜ぶことをしてみませんか!
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