初天神 京都 北野天満宮の受験のおすすめのお守りは?菅原道真が祀られた奇妙な謎とは?

初天神 京都 菅原道真が祀られた北野天満宮の受験のおすすめお守り
北野天満宮 三光門

「学問の神様」として知られている菅原道真公が祀られている

京都の北野天満宮は、年初めの1月25日最初の縁日「初天神」と呼ばれ、

多くの人でにぎわいます。


特に、この時期には、多くの受験生が参拝しますが、

菅原道真が祀られた不思議な謎

おすすめの受験のお守りを教えちゃいます。


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北野天満宮は、

京都市上京区馬喰町にある神社で

菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、

「天神さん」とも呼ばれ、親しまれています。



菅原道真公は、「学問の神様」と知られており

入試を控えた多くの受験生の参拝

多いことでも有名です。


菅原道真公の生まれた日毎月25日の月命日に

縁日が開かれていますが

年初めの1月25日最初の縁日は「初天神」と呼ばれ

約2万坪の境内の様子が一変して

参道から周囲の沿道に至るまで、

境内には、1000余りの多くの露店が

並ぶことで知られています。


露店 混雑

平安時代中頃の天暦元年(947)に、

京都に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)や

近江国(現在の滋賀県)の比良宮の神主の神良種(みわのよしたね)、

北野朝日寺の住職の最珍(さいちん)らが、

同所に神殿を建て、

菅原道真公をお祀りしたのが

始まりとされています。


その菅原道真公をお祀りした始まりには

すごく奇妙で、嘘のような本当のお話があり

後で詳しく説明します。


                    
そんな菅原道真公ですが、

菅原家は、曾祖父の時代に、

学問をもって朝廷に仕える

家柄となりました。



そして、道真公の祖父は私塾を設けて、

そこから、朝廷の要職に数々の官人を輩出し、

菅原家は、一大学閥となっていったのです。


そのような環境の中、

菅原道真公は生まれ、育ちました。


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菅原道真公は、

幼少の頃から、学問の才能があり、

なんとわずか 5歳 で和歌を詠むなど、

まわりから「神童」と称されました。


スゴイですね。天才です。


そんな道真公は、さらに勉学に励み、

学者としての最高位であった

文章博士(もんじょうはかせ)となります。


また、学問だけでなく、

武道にも長けていて

弓で百発百中の腕前を披露されるなど、

文武両道に傑出した人物として、

その名を轟かせていました。


世に、二物を与えたのですね。


しかし、道真公は、藤原氏の陰謀で

あらぬうわさをたてられ

九州の大宰府(だざいふ)に左遷させられ、

失意の中、京都に戻れないまま

亡くなったのは2月25日、享年59歳の生涯だったといいます。




道真公が死んだ後

さまざまな怪奇現象が続き

多くの関係者が死亡することなどが起き

菅原道真の怨霊を鎮めるために

祀ることにします。


当初の始まりは「学問の神様」としてではなく、

「御霊」「雷神」として祀られておりました。



その物語は、

京都の貧しい家の娘「多治比文子(たじひのあやこ)」の枕元に

菅原道真公の霊が現れて、


「私が昔生きていた頃、よく右近馬場(うこんのばば)という所に遊びに行きました。

そこに行けば私の胸の内に燃えさかる恨みの炎は安らぎます。

早く右近馬場に祠(ほこら)を建てて私を祀ってください。」


とのお告げを残したといいます。


右近馬場は、今の京都府京都市上京区馬喰町(かみぎょうくばくろちょう)あたりといわれています。



しかし、貧しい身分の多治比文子には、

右近馬場に祠を建てるができないので、

自分の家の庭の片隅に

祠を建てて菅原道真を祀ることにしたのです。(942年)


その5年後、今度は、

近江国(現在の滋賀県)の比良宮の神主の神良種(みわのよしたね)の息子にも

多治比文子と同じような菅原道真公からのお告げがあり、

それを知って驚いた神主の神良種は

右近馬場にある北野朝日寺の住職の最珍(さいちん)に事情を相談したところ、

多治比文子の家の庭にあった祠を右近馬場に移し、

菅原道真公を祀る社(やしろ)を建てたといいます。(947年)


なんと嘘のような話です。


このように北野天満宮の始まりは

菅原道真公の御霊を鎮めるために建てられた神社

ということなのです。


祈祷

しかし、その後、986年

当時、文人として著名だった慶滋保胤(よししげのやすたね)が

北野天満宮に捧げる祈願文の中で

「天神を以て文道の祖、詩境の主」として尊敬の文を書いたことから、

特に文章をたしなむ人にはご利益があるとされました。


また1012年、

代表的な漢学者で文章博士の大江匡衡(おおえのまさひら)が

北野天満宮に捧げる祈願文の中で

「文章の大祖、風月の本主」と同じように尊敬の念を書いたことから、

それにあやかろうということから、

その後、菅原道真公は、「学問の神様」として

祀られるようになったといいます。



そんな菅原道真公を祀る北野天満宮の初天神。


受験生の受験のお守りとしては、

道真公の遭難を救ったとされ、

夢を現実に変える力を持つ

神鳥 「鷽」(うそ)の木彫り人気です。


鷽の木彫り

初天神の1月25日は「鷽替え神事」といわれ

木彫りにした「鷽」を

新しい「鷽」と取り替える神事です。


凶事をウソとして、

幸運に替える
ことを念願して行われたもので、

江戸時代はじめから始まった

といわれています。


ぜひ、道真公の遭難を救ったお守り「鷽の木彫り」

知らず知らずのうちに使うウソを幸運、誠に変えて、

夢を現実に変えて、開運を摘まみましょう!

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