絵に描いた餅とは?由来がわかった!本当の意外な事実も!?

「そんなことは絵に描いた餅だ!何を言ってるんだ!!」

「そんな夢みたいなことばかり言って、まるで絵に描いた餅じゃないか。」

なんてこと聞いたことありませんか。

なんじゃそりゃ!?絵に描いた餅って何だ?と最初に聞いたときは必ず思うはずです。私もそうでした。

意味を調べるとそうゆうことかと思うのですが、しかし、なぜ「絵に描いた餅」なんて言うのか深く考えたこともありませんでした。

しかし、なんで餅?しかも絵に描いた…

これでは子供に聞かれても答えられない…マズイ…

と思い、父親の威厳を保つために絵に描いた餅とは?由来について徹底的に調べました。

そこで、意外なこともわかりましたので最後まで読んでいただけると嬉しいです。

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絵に描いた餅とは?

まず、絵に描いた餅とは、どんなに上手に描かれていても、絵に描かれた餅は見るだけで食べらることができない。

そこから、こういう意味になります。

  • 役に立たないたとえ。
  • 計画などが実現する可能性のないこと。
  • 画餅(ガベイ)

  • 引用元:Weblio辞書より


    そして、最後の「画餅」という言葉。

    これって何?とお思いでしょうが、絵に描いた餅と同じ意味で使われる言葉になります。

    「画餅に帰す(読み方:ガベイニキス)」という言い方で使われ、「絵に描いた餅」と同じ意味になります。

    絵に描いた餅

    絵に描いた餅の由来はこの人の言葉!

    絵に描いた餅の由来は、中国の三国時代の魏書廬毓伝(ギショロイクデン)の中に記されています。

    魏書とは、中国の三国志の中の魏の北部を統一した北魏に関することが記録された歴史書で554 (天保5)年に完成したものです。

    その時代、日本はというと、日本で最初の女性天皇の推古天皇(554~628年)が誕生しました。その即位の翌年には、おいの聖徳太子を摂政にし、天皇中心の政治をめざし、飛鳥文化を発展させていきました。

    話はそれましたが、その魏書の中で
    魏(ギ)の第2皇帝である曹叡(ソウエイ)の言葉「絵に描いた餅」の由来です。

    時代は今から1800年前、日本ではあの卑弥呼さんが邪馬台国の女王だった頃の言葉です。

    曹叡のイラスト
    曹叡とは、魏の初代皇帝の曹丕(ソウヒ)の長男であり、その曹丕は、三国時代の魏(ギ)の土台を築いた政治家で、軍人でもあり、そして優れた文学者でもあった父である曹操(ソウソウ)の後を継いだ人物です。

    つまり曹叡曹操の孫です。

    そして、その言葉がコレです。

    「選擧莫取有名、名如畫地作餅、不可啖也」

    選び挙ぐるに名有る(のみ)を取る莫(なか)れ。
    名は地に画(えが)きて餅を作すが如(ごと)し、啖(くら)ふべからずなり。



    漢字で書いてあるので、なんとかくわかるような気がします…が、よくわかりませんよね。

    そこで、これを日本語で言い表すと

    「人を選んで登用するときは、名声や評判だけで選んではいけない。
    名声や評判というものは、地面に餅の絵を描くのと同じで、その餅は食べられない。
    何の役にも立たない。」



    という意味です。

    この曹叡の言葉から実際に役に立たないもののことを、画餅、すなわち「絵に描いた餅」と言うようになりました。

    この言葉は、難しくなく簡単で、なおかつユーモアがきいた洒落た冗談としてとらえられて、広く一般庶民に浸透していきました。

    そこで、後に多くの人々が用いる言葉となったわけです。


    パパ
    家族でハワイ旅行に行くぞ!

    いつ連れってくれるのかな!?

    子供
    えっ!?いつハワイに行けるの?行きたい!行きたい!早く行きたいなー

    パパ
    よし!がんばって絶対に行くぞ!!


    なんて言ったものの、いまだ実現はしていません…が、

    絵に描いた餅にならないように、家の寝室の壁にはハワイ旅行のパンフレットを貼っています。

    毎日パンフレットを見ることで、潜在意識に働きかけて、ハワイ旅行の実現に向けて励んでいます(^^;

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    実は、この言葉、魏の第2皇帝の曹叡が人材を選んで登用する際に、廬毓(ロイク)という人物に相談した際に出た言葉です。

    廬毓は、曹操や曹丕から大変信頼されていて、吏部尚書(リブショウショ)といって、人事を掌る大臣の位にあった人物です。

    そして、廬毓の父である廬植(ロショク)はまた学者であり、軍人として名高い名士でした。

    その門下生の一人になんと!あの後に三国時代の蜀(ショク)の初代皇帝となった劉備(リュウビ)がいたんです。

    劉備は、人柄の良さから豪傑 関羽(カンウ)や張飛(チョウヒ)に好かれた魅力的な人物であり、多くのファンがいます。

    乱世の英雄 劉備を簡単に気軽に知りたい人はこちらがおすすめ!↓


    曹叡が描いた餅は「餅」じゃない!?中国と日本の餅は違う!

    実は、「絵に描いた餅」は、私たちが思っている餅ではありません!

    私たちが想像する餅はモチ米で作る粘りがあって伸びる「餅(モチ)」ですが、
    中国でいう「餅(ビン)」とは、小麦粉を原料とするものです。

    「餅(ビン)」とは小麦粉をこねて平らな形にして、焼いたり、蒸したり、油で揚げたりしたもののことを総称していいます。

    中国の代表的な家庭料理であり、地方によって異なり、家庭の味が凝縮されているもので、中国版「おふくろの味」と言えるものです。

    そんな話をしていたら、急に私のおふくろの味はなんだろうと考えましたが、私は正月に食べる「こうと汁」がすぐに思い浮かびました。

    「こうと汁」とは新潟のお雑煮でこんな感じです。↓
    こうと汁(クックパッドより)

    急に母が恋しくなり、食べたくなりました。正月までガマンして、実家に帰ってこうと汁を食べよう!っと。

    おふくろ 料理
    それにしても、例えなので、別に餅じゃなくても、何を描いてもいいような気がしますが、曹丕もその時にふっと、おふくろの味を思い出したのかもしれませんね。

    時代や国が違っても、人って変わらないんだな、と思うと何だか心温かい気持ちになってきます。


    さいごに

    そのようなことで、「絵に描いた餅」の由来は、中国の三国時代の魏書廬毓伝(ギショロイクデン)の中に書かれていました。

    それは、魏(ギ)の第2皇帝である曹叡(ソウエイ)が人材を選んで登用する際に、廬毓(ロイク)という人物に相談した際に出た言葉でした。

    その言葉とはこうでした。

    「人を選んで登用するときは、名声や評判だけで選んではいけない。
    名声や評判というものは、地面に餅の絵を描くのと同じで、その餅は食べられない。
    何の役にも立たないということ。」

    そこから転じて、「絵に描いた餅」の意味は

    「何の役にも立たないたとえ。計画などが実現する可能性のないこと。」

    となりました。

    これで、子供に聞かれたら、自信をもってちゃんと教えられます!(^^ 

    ちなみに「絵に描いた餅」は、描くのは絵なので、「絵に書いた餅」とは書きませんので、間違わないよう要注意です(^^

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    2 Responses to “絵に描いた餅とは?由来がわかった!本当の意外な事実も!?”

    1. 関口昌平 より:

      画餅は曹丕ではなく曹叡の言葉です。

      • makotti より:

        関口昌平さん、記事を読んでコメントも投稿していただき感謝です。

        ご指摘のとおりでした。

        画餅は「曹丕」ではなく、その子の「曹叡」の言葉でした。

        記事を修正させていただきました。大変ありがとうございます。

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