節分のいわしの由来とは?そこには衝撃の事実があった!

節分の日にいわしを飾ることや食べる風習が特に西日本であります。

でも、なぜ「いわし」なの?とふと疑問に思ったことはありませんか。

そこで、調べていくうちにいわしの由来が、実は、その昔「●●」ではなかった!?という衝撃の事実があることがわかりました。

そこで、節分の日になぜ「いわし」なのか?なぜ他の魚ではなく「いわし」でないとダメなのか?なぜ「いわし」が選ばれたか?「いわし」を用いる本来の意味も忘れないように大切にしたいものです。


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節分にいわしが食べられるいわれ

日本では西日本地域に節分の日にいわしを食べたり、焼いたいわしの頭を柊の枝に刺したものを玄関口や戸口に飾る柊鰯(ひいらぎいわし)、焼嗅(やいかがし)という風習があります。


柊鰯イラスト

そして、なぜ節分にいわしなのか?ということについては、一般的に広くいわれているいわれはこうです。


  • いわしを焼くときの生臭い臭いと煙が鬼は嫌いだから、鬼を払う、邪気を払う

  • いわしの漢字である鰯は「魚」へんに「弱」になるため、その臭いと煙を浴びることによって鬼の力が失われてしまうため

そして、そのいわしを食べることによって、身体の中の鬼を払う、邪気を払うといった意味も込められています。


だが昔は「いわし」ではなかった!

しかし、実は、その昔は「いわし」ではなく「ボラ」だったんです!


ボラは海魚で、スズキ目で全長約70cmになる比較的大きな魚です。出世魚で成長とともに呼び名が変わり、大きくなるとともにオボコ→イナ→ボラ→トドの順に名前が変わるんです。

ちなみに、日本の三大珍味と呼ばれている「からすみ」はこのボラの卵巣の塩漬けになります。

ボラは漁港の突堤などにいくと、ボラはこんな感じで泳いでいるのが見られます。(クリックすると拡大します)

鰡 ボラ 水中


ボラは実際こんな感じで映像があります。(14秒)



それは、平安時代の書物の「土佐日記」の中に庶民の間で家の門口に「ボラの頭」「しめ縄」「柊(ひいらぎ)」を飾る風習があったと書かれていました。

土佐日記とは、平安時代の有名な歌人の紀貫之(きのつらゆき)が土佐国(現在の高知県)から京(現在の京都市)に帰る道中の見聞きしたことや出来事を日記風に描いた書物で、935年ころに成立したものといわれています。ですから、1000年以上前から行われていたん風習なんですね。




それを飾った理由は、「ボラの頭」は、ボラは通常漢字で書くと「鰡」と書きます。

「魚」へんに「留」という字です。

その昔、土佐日記の書かれた平安時代では、家の中には神様がいないので、神様を招き入れるという考え方でした。

そのため、節分の日は、季節の分かれ目である立春の前日で、旧暦の太陰暦でいえば新しい年を迎える大晦日にあたる日なので、神様が外からやってきて、自分の家に「神様が長く留まってほしい!」という願いからきていたのです。


そこで、「留」という字を書いた魚の「ボラ(鰡)」、神様のいる場所と示す「しめ縄」、そして季節の変わり目の節分に入り込みやすい邪悪なものの魔よけの効果をもつ「柊(ひいらぎ)」を一緒にセットで飾ったわけです。

ちなみに、なぜボラの頭だけ飾ることになったかというと、わかるとは思いますが、内臓をつけたまま飾ってしまうと、すぐに腐ってしまうので、頭だけ飾ったそうです。内臓をつけたままだと、神様だけでなく、ハエも寄ってきそうです…


本来、ボラだったのが、いつから、どのようにして、いわしにかわっていたのでしょう。


それは、次にお伝えします。


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それがどうしていわしに変わったのか!

ボラからいわしに変わったのは、室町時代です。


その由来の理由は、これからお伝えするのですが、まずは「鬼」の概念がかわってきたことからボラからいわしになっていきました。

平安時代は、現在の「鬼」ではなくて、「隠忍(おに)」と書いており、「死んだ人」という意味でした。

「隠忍」は、暗闇や人から隠れた所に潜んでいて、何か問題があったときに、「邪悪なもの」が世の中に入り込んできて、人を不幸にすると考えられていました。

したがって、「隠忍(おに)」とは「邪悪なもの」「人を死に追いやるもの」という意味でした。

それから、「邪悪なもの」という意味が「鬼」という意味にかわるのは、混乱の時代といわれている、室町時代に起こった10年以上にわたる長い戦であった応仁の乱(おうにんのらん、1467年)から戦国時代にかけてになります。


このようなイメージの鬼となったのは、戦国時代に現れてきた多くの武将南蛮人(スペインやポルトガル)との貿易(南蛮貿易(なんばんぼうえき))が影響しています。


人は敵になった時の大きな強い武将と外国人のイメージがからにあい、「巻き毛」「赤い肌」という現在のイメージの「鬼」が作られていったのです。


赤鬼 顔 金棒

その「鬼」は当然、日本人とはかけ離れた「異様なもの」ということになります。


その「異様なもの」が、昔からある「隠忍(おに)」にイメージが似ていることから、「悪者」というような現在のような「鬼」になっていきます。


「隠忍(おに)」「死んだ人」という意味があったことから、「地獄の住民」、そこから死人の生前の罪を裁く「閻魔大王(えんまだいおう)の使い」とかいわれるようになったのです。そういう意味から、周りからそれを排除しようという考え方になります。嫌ですよね、怖くて恐ろしいですから…


だから、鬼がいるということになれば、居させる留めていくわけにはいきませんから、「鬼は外!」というわけになります。


このような考え方になっていったために、 ボラ(鰡)は使われなくなり、代わりに、いわし(鰯)が使われるようになりました。


赤鬼 逃げる
そして、ボラ(鰡)からいわし(鰯)になった理由はこうです。

  • 「いわし」の漢字の鰯は「魚」へんに「弱い」になるから

  • 「いわし」は「賤しい(いやしい)」に通じるから


「弱い」とか「賤しい」、身分が低い、みすぼらしいなどといったイメージは、「閻魔大王(えんまだいおう)の使い」からのイメージとはかけ離れたものになるため、いわしの臭いとか、煙を浴びてしまうと、自分が賤しくなって、弱くなってしまうと思われるため、いわしを嫌ったということが信じられたのです。


スゴイなりゆきですよね。室町時代の人はものスゴイ想像力がありますよね。そこまで繋げていくとは。

これが、節分にボラ(鰡)からいわし(鰯)になった由来で、節分にいわしになった由来です。



節分の日にいわしを食べることや飾る風習。

由来は元々は「いわし」ではなく、「ボラ」でした。昔の人の解釈や意味づけが行われて、節分には「ボラ」から今現在の「いわし」になっていたんですね。

ちなみに柊鰯(ひいらぎいわし)を飾った場合、いつ処分すればいいの?と悩む、困った場合はこちらをご覧ください。

柊鰯はいつまで飾る?処分する方法は?知らなかった!!節分のマナー

節分の日は季節の節目なので邪気が入りやすくなる時期のため、いわしを焼いた煙や臭いで邪気が入り込むのを防ぎ、鬼も寄せつけなくします。

また、節分は季節の変わり目で体調を崩す人が多く、風邪をひきやすかったりしますよね。そのようなときに、いわしは栄養価が高く、DHAやカルシウムなど豊富に含まれているので、昔からの風習、節分にいわしを食べるということは、無病息災ということで、実は理にかなっているかもしれませんね。


ちなみに、「ボラは食べるとうまいのか?」ということですが、通常、ボラはとても人気がなく、食べてもまずい!ということで、釣り人の間では外道(げどう)と呼ばれています。

しかし、実際の味はどうかというと、魚のうまみがあるが、それ以上に泥臭さがあるとのこと。すなわち、やっぱりマズい…そうです。

現在の風習の由来が、「いわし」ではなく、そのまま「ボラ」のままだったら、食べてはいなかったかもしれませんね(^^;

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