NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の荒木村重とは?その驚きの生涯とは!!

荒木村重(あらきむらしげ)は、

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である。(1535~1586)


織田信長の抜擢を受けて、

摂津一国(現在の大阪府北部から兵庫県東部)

という大領を任せられながら、

天正6年(1578年)に突然、織田信長を裏切り、

その後、一族を皆殺しにされたことで

有名な武将として知られているが、

また謎も多い人物でありますが、

それでは、これから詳しく見ていきましょう。

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荒木村重は、父の代から、

摂津国池田城主(現大阪府池田市)である

摂津国人池田勝正に仕える家系だった。


三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)が

足利義昭を攻めた本国寺の変では、

勝正に従軍してこれを撃退した。


その後、池田氏が内紛で弱体化すると、

荒木村重は、有力な家臣として

台頭してきました。


その後、荒木村重は、

織田信長に目を懸けられ、

39歳で摂津国茨木城主(現大阪府茨木市)、

翌年40歳のときには摂津一国を任され、

伊丹城(現兵庫県伊丹市)の伊丹忠親を滅ぼし、

接収して、有岡城と改名し、

荒木村重は、有岡城主となったのである。


荒木村重は、紀伊雑賀攻めに従軍し、

そして、その後、羽柴(豊臣)秀吉らと共に

播磨上月城主尼子勝久への援軍に加わり

毛利氏と対峙した。


荒木村重は、44歳のとき、突如、

従兄弟に当たる中川清秀の家人が

本願寺へ米を売っていたことが

密告により信長に疑われ

一度は、明智光秀などの糾問の使者に説得され、

釈明しようとしたが

一族や家臣たちから「行けば殺される」と言われ、

果たさず、ついには、

信長に対して、反逆を決意したといわれる。


ちなみに、この時に、

荒木村重の謀反を引き留めに来た

黒田官兵衛を牢に入れてしまい、

これが原因で、官兵衛は

足が不自由になってしまった

といわれている。


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そして、豊臣秀吉も使者を派遣し、

再び翻意を促したが、聞かず、

有岡城に籠城して、10ヶ月間抗戦した。


その後、荒木村重は、

有岡城の包囲を逃れて脱出し、

尼崎城に入ったが、有岡城はその後すぐに落城。


残された一族・家臣は、

信長によって捕らわれ

処刑されてしまった。


しかし、当の荒木村重本人は、逃げて、

死なずに生き延びた。


籠城戦の中、大将だけが逃げる

というケースは、ほとんどないといわれている。


その後、荒木村重は、

尼崎城(現兵庫県尼崎市)へ、

さらに、花隈城(現兵庫県神戸市)へ移り住み、

そして、毛利氏に亡命した。


その後、織田信長が本能寺の変で倒れると、

荒木村重は、堺(現大阪府堺市)に戻り、居住し

千利休に茶を学び、

宗匠として、豊臣秀吉のもとで茶人として生きた。


享年52歳。堺で死去。



荒木村重の人生は、

戦国時代という、荒れた時代に翻弄された

波乱の人生であった。


織田信長に目をかけられていた荒木村重が

なぜ謀反に至ったのか、

また、なぜ一族を見捨てて、単身逃亡したのか、

その行動を推し量ることができず

謎が多い。


これも計り知れない荒木村重の

人間の性なのかも知れません。

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